【デジタルアーカイブ】時代の要求するところの先端に立て

本記事は、2004年1月にティグレ創立30周年を記念して発行された『志あるを要す〜上田卓三とティグレ30年の歩み』に掲載の上田卓三会長(当時)インタビューを、Web版デジタルアーカイブとして再掲するものです。

時代の要求するところの先端に立て《2003年11月 上田卓三会長インタビュー》

戦争と差別を無くしていく

──上田卓三会長の「志」の原点は何処にあるのでしょうか。

上田:それは、やっぱり戦争と差別に反対するというか、それらを無くしていこうということやね。

 私は戦争と差別を子どもの頃に身をもって体験している。空襲で家を焼け出されて、戦争の恐ろしさが身に刻み込まれている。戦争が終わってからも、不当な差別は続いた。だから日の当たらないところに光を当てる。戦争と差別に反対して民衆が立ち上がり、平和と平等を勝ち取る。そういう社会の実現というのが私の「志」。

 高校の時から部落解放運動に入って、いろいろな要求者別組合をつくり、解放同盟の組織を大阪府下で拡大していった。運動を通じて思ったことは、国政に弱者の声を届けなあかん、日本そのものを変えていかなあかんということだった。だから参議院選挙にも出て、衆議院議員を六期続け国政で活動してきた。中小企業問題に取り組み、中企連を結成した。現在はティグレの改革に取り組んでいる。ずっとこうした発展がある。30年はいろいろな意味で節目の年と言われるが、私は、この30年は助走期間だと思っている。

歴史における個人の役割

──上田卓三会長の活動を支えている「源泉」は何でしょうか。

上田:私の心のなかには、いつもプレハーノフという帝政ロシア時代の革命家の書いた『歴史における個人の役割』という本がある。高校生の時、部落解放のためには社会主義が必要や言われて、唯物論哲学を勉強した。そのなかでこの本が一番心に響いている。「偉大な人間が創始者」のところで、人間は時代の流れに反抗すれば反逆者となる。しかし時代の求めるものの実現のために、先頭を切って走り続ければ、たとえ小さなうねりでも、必ずそれが主流になるということ。「歴史における個人の役割」に記された言葉の一つひとつは、常に私の心のなかに、座右の銘としてある。

 それから唯物論哲学のなかで学んだことは、「矛盾の統一」ということ。世の中矛盾だらけのようやけど、それらを統一的に解釈していかなあかん。相対立するものを絶対的な対立として考えるんじゃなしに、それをどう調整して、乗り越えていくかということが大切。「上田の行動は矛盾してるんと違うか」と言う人もいますが、私のなかでは全然矛盾していない。これまで、考えの違う人同士に会ってもらうことで統一を実現したり、結果的に矛盾してないのです。私の行動のこれが原点です。

機転を利かせてチャンスをつかめ

──この30年間、会長として走り続けてこられて思われることは。

上田:基本的には何事も、本人の努力、主体的な活動が必要であることは事実やね。もちろんそれ以外の要因というのも、運がええとか、間がええとか、というのもあるよ。あるいは「縁」という人の出会い、これも偶然やね。その運とか縁を、うまく捕えて、それを活用するというか。それがへたくそな人がいる。資質なのか、環境のなせる技なのか、本人の責任かようわからんけどね。せっかくチャンスがありながら、それを活用できない人がいる。機転を利かせて「ぱっ」とつかむ。経営者でも、政治家でも一緒や。

 悩むことはいいことやと思うけど、それを、今決断しなければならない時に、3年も4年も悩んでたんじゃ、遅すぎる。時代がこういう激動の時代には特に。まあいつも私は激動の時代と思うてるけど(笑)。何も慌てることはない、またチャンスはあるというようなことではダメやね。二度とないと思わないとね。

自分流の味をつけて新しいものに変化させる

──やはり、何事も決断が肝心ということですね。

上田:そう、本人の資質と、周りの状況というか、まあ、素材というのも大事やね。「素材」というものは、それをどう分析して、どう決断、チョイスするかということじゃないかと思う。その判断の時間の差が、私と周りの人にはあるように思う。まあ、「会長はちょっとせっかちや」と言われる。せっかちゆうたらせっかちやけど、本人はせっかちと思てないわけや(笑)。

 情勢に乗ってるだけの人を軽蔑するつもりはないけど。まあ人間である以上は、やっぱり客観情勢分析して、それに一定の決断をして、能動的にそれに関っていく、そしてそれを本当のチャンスにする。自分流の味をつけて、新しいものに変化させていくこと、それが人間の喜びやないかと思う。

いよいよ、今からが勝負

──ティグレの30年間は、助走期間ということですが。

上田:65歳という年齢は、普通の人で言えば、年金生活でもう人生も終わりに近づいている年。しかし、私はまだまだやり残してることが多いし、やり遂げたい。ティグレの組織を見ても発展途上で、何もかも途中や。まあ、そう言って自分を励まさないといかんという意味もある(笑)。いよいよ今からじゃないのかな。

 長い間、社会貢献ということを考えている。もちろん、社会貢献というのは、恩着せがましくゆうこともないし。一般企業でも社会貢献をやってるんじゃないかな。儲けのためだけに活動していますと言う会社なんかないよ(笑)。

 しかし、社会の役に立つと言って研究、開発を進めて、結果的に儲ける。堂々と主張しようやないかというのがティグレ。私利私欲でやろうとしているのと違うのやから。この立場は、1975年に「いのちとくらしを守る会」をつくった時から、いろいろ試行錯誤はあったが、一貫していること。

ティグレは何でもこなす老舗

──最近、上田卓三会長は、ティグレのブランド戦略をおっしゃってますが。

上田:ブランド戦略については、ティグレを世界に通用するブランドにしていく。ティグレ・グループを売り出す、誇りを持ってね。ティグレは何でもするけれど、総合商社とは違う。何でもこなすという老舗。

 ティグレ・グループは、福祉や不動産から旅行まで何でも扱う会社やけど、30年の信用がある。中企連からティグレに変えてまだ7年。ティグレ・グループ、ティグレ・インターナショナルとして、これからいろいろなことをやろうと思っている。いずれにしても春からは、新商品を色々考えて、動いていく。ダーッと行動するのは私のクセやから(笑)。

まさに「志あるを要す」やね

──上田卓三会長のあとに続く若い人たちに何かメッセージを。

上田:そうやね。一つは、仕事の専門化が進むと、油断したら視野の狭い仕事人間になってしまうことや。幅広く世の中を見ることが大切。その意味で政治の世界をしっかりと見るのも一つやね。

 二つめは、どうしても長く同じ仕事をしていると人間、保守化しやすい。その防止策に新規事業を起こすのもいいと思う。最後に、自らが日々お客さんと接触して仕事をしている。これは立派なことや、それに自信を持てと、いうこと。そしてお客さんの信頼にあぐらをかくんじゃなくて、組織をどう拡大していこうか、ということを常々考えてほしい。

 ティグレは税理士事務所、会計事務所の機能を持っているが、何でもこなす老舗やと。それと初心を忘れずに、まさに「志あるを要す」やね。

上田卓三(うえだたくみ) プロフィール

1938年6月24日 大阪市東淀川区生まれ。1958年 大阪市立扇町第二商業高校を卒業し、1973年3月 部落解放同盟大阪府連委員長に就任。1973年8月 大阪府中小企業連合会を設立し会長に就任。1976年12月 衆議院大阪4区に出馬し初当選、以降1993年6月まで衆議院議員を6期17年務める。1996年12月 中企連をティグレ(スペイン語で虎)に名称変更。ティグレグループ代表に就任し、ティグレ会長、株式会社ティグレ代表取締役、ティグレフォーラム会長など多数の役職を務める。2005年5月、66歳で死去。